友人のお父様から授かったモノサシ
畑と干潟の広がる田舎から往復3時間かけて、
都会の学校に通っていた高校2年生の頃。
掛け持ちしていた水泳部や生徒会をそっちのけで
夢中になっていたのは、男女混声になったばかりの聖歌隊。
どうすれば少数精鋭のチームがもっといい演奏になるのか、
指揮者として全パートを歌いながら、研鑽の日々重ねていました。
ある日、クラスも一緒だったバリトン君の食卓に招かれて夕食を
ご馳走になった。
思い出すのは、うつわと木テーブルの感触。
仄暗い間接照明に砂ずりの壁。
ニッチの棚に飾られた丸い石ころ。
向かいに座っていたバリトン君のお父様の着ていた白シャツと黒いベスト。
柔らかく優しい声。
お母様の闊達な笑い声。
食後、バリトン君のお父様のお仕事は、古道具屋だと聞いて、
テレビで値段をつける鑑定番組くらいしか思いつかなくて
どんな仕事なのか想像もできなかった私は、あれこれ質問したようだ。
真贋の話から、「どうやって価値を見極めるのか?」
という私の問いに、
「究極を言えばね…。」と、
棚に飾ってあった、丸みを帯びた石ころを取り、
テーブルの上で、掌で撫でながらこう答えた。
「道端でみつけたなんの変哲もない石ころを見てね。
それを美しいと、君が心から思ったのなら、
それが本物なんだよね。
それに値段をいくらつけるか、君が決めるの。
私がやっているのはそういう商売なんですよ。」
当時の私は生意気を通り越す凸凹に高いエフィカシーを持て余しつつ
語彙も少なかったので、へ〜!すげぇ!などと反応していたものの
その言葉の意味する本質を理解するには知識も経験も足りず、
正直、その時は良くはわからなかったのですが、
なぜか心に強く残っていました。
そして、何かにつけ「真贋」「本物」「価値」について考える時に
バリトン君のお父様の言葉を思い出しては反芻しているうちに
いつしか新しい指針となり、血肉になっていました。
今も、繰り返しこの言葉を思い出します。
人が、誰かのモノサシに裁かれている時や、惑わされている時。
他人によらない、自分と宇宙との間で測るモノサシを持てているか。
そのモノサシを使い、動かし、磨いて、更新し続けているか。
バリトン君のお父様が、骨董界で白州正子氏にその眼を認められる随一の人で
古道具 坂田という店を営んでいると知ったのはそれから20年後でした。
ところで、あの日、何をご馳走になったのかさっぱり覚えていない。
古道具 坂田 2020年惜しまれつつ閉館
museum as it is 美術館、土日に開館
mon Sakata バリトン君のお父様が着ていた服の作り手